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戦争の話し

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少しずつ体調が回復してきたので、今日は新宿御苑へ森林浴です。

今日はかなり暑かったから、少しだけ写真を撮って、休憩所でまったり。

すると、おじいさんと言うには若い、70過ぎの男性の方が話しかけてきました。

最初は近くにいた猫の話など、他愛のない事を話していたのですが、
気づいたらおじさんが体験した、終戦直後の満州の話しや、
おじさんが知り合いの方から聞いた戦争の話しなどを聞かせてもらいました。

正直、知らなかった事ばかりでした。

南方で戦った人は、米兵も恐ろしかったが、それよりも、トラやワニ、蛇などが恐ろしかった話しや、
鳩はウマイがカラスはマズイ、ワニは肉が硬い(汗
とか。
当時の戦闘機の話などしたり。

そういう話をしているうちに、おじさんの目元が段々鋭くなってきたのを感じました。

そしておじさんが満州にいた頃の話へ・・・

自分自身、日本が戦争に負けた時、満州や南方の方から日本人が内地(日本)へ帰ってきて、
一部の兵隊などは、シベリアなどで強制労働したと言う、簡単な事ぐらいしか知りませんでした。

当時、その日本が戦争に負けた時、全ての人ではないと思いますが、
満州にいた一般人は悲惨だったと、おじさんが話しはじめました。

おじさんは、日本に近い場所にいたものの、内地に帰るまで2年半かかったそうです。
満州の奥にいた人は、内地に帰るまでの道のり中で、日本人と知られると殺されると思い、身分は隠し、帰ってきたそうです。

帰路の中、身元がばれそうになれば、殴られたりしたそうです。
でも決して殴られても、絶対に言葉は発さなかったそうです。

何故なら、話せば日本人とわかり、殺されてしまうからです。

当時、おじさんは子供で、日本人学校が閉校した日、学校から帰ってくると、
家の前に現地の4歳~10代後半の子供達が数人で待ち伏せされ、
一人一人に殴られ、血だらけになったそうです。
でも、戦争に負けたから何も言えず、その時の傷は、今でも残っているそうです。

流石に4歳の子は殴れない。だからほかの子供に抱きかえられて、おじさんのほっぺを殴らせたり、
それができなければ、蹴るように命令して蹴らせたそうです。

また知り合いの父親は、公開処刑されたそうです。
日本人だと分かる名前の人間は、市民の前に連れ出され、「○○に殴られた物はいないか?」と質問する。
やったやらない関係なく、誰かが手を上げたら、即銃殺だったそうです。

また、公開処刑とは違いますが、馬2頭に人の足を1頭ずつ結びつけ、
逆に走らせるような行為もあったそうです。
おじさんも、目の前で日本人が西部劇のように、簡単に何人も殺されるのを見たそうです。

現地の住民達の強い反感や怒りなどから、日本人なども大量に殺され、死体の山もたくさんあったそうです。
その多くの犠牲者は、女、子供達。
強姦されたり、妊娠した人のお腹は切りさかれたり、乳を切り取られたり、子供は首を切られたりしたそうです。

おじさんが話した事に、南京大虐殺など、日本人が関わった悲惨な出来事は沢山あるが、
中国から出てきた人骨は、全て中国人の骨だとは思ってほしくない、
中には日本人の骨もたくさんあると、話していました。

そして戦争は良くないのは当たり前で、平和は大切だけど、それだけを教えるのではなく、
戦争は人をおかしくする、という事も教えるべきだと話していました。

正直、いろいろ話してくれたおじさんには申し訳ないですが、
全ての話しが本当か、僕には分かりません。

ただ戦争の中で、残酷になれる人の恐ろしさを感じ、戦争と言う出来事は終わったけど、
心の中に刻まれてしまった戦争は、終わる事はないのだと知り、悲しい気持ちが込上げてきました。
戦争に関わった国は、多くの人を傷つけ殺し、今でも人の心に暗い影を落としている。
戦争の勝ち負けなんて関係なく。

当時、一部の軍や政治家などの人間が引き金を引いて始めた戦争。
何十年たっても、今も人の心に傷を残している、戦争。

国を動かす今の政治家達は、国民や世界の平和をどれだけ志を持って、願っているのだろう。

そんな志がなくても大丈夫なぐらい、平和ぼけしている日本もいいのかな。

そんな事を思いながら、思わず帰り、新宿の住友ビル48階にある、平和祈願展示資料館へ行きました。
満州から引き返す日本人の話しも書いてありましたが、おじさんの様な体験談は書いていませんでした。

日本人は戦争を始め、悪い事をしたという思いから、おじさんの様な話しは表に出さない風潮があると話していた、おじさんの言葉をふと思い出しました。

外地から帰ってきた邦人320万人。

1/320万の体験は、僕にとってずっしりくるものでした。

この事は、おじさんと1時間ほど話した内容を、僕なりの理解で書いたものです。
誰かを攻めるために書いた記事ではありません。

今日、戦争を恐ろしいと感じ、65年前の夏、自分の立っている空の下で、
戦争が行われていたんだと、考え深くなりました。
by hohohodayo | 2010-07-27 17:32 | 日記